写真撮影とお話を聞かせて頂ける方を探してます

このプロジェクトは児童虐待事件を調査し、
その現場の現在に訪れて撮影している。

身近なところで発生しながらもその実態の見えづらい児童虐待事件を取り上げている。

戦後、高度経済成長期の下、日本社会は大きく変化した。

地域社会が崩壊し、核家族化が進行し、かつてあった子育ての濃密な人間関係のネットワークは失われ、子育ての重荷を母親のみが背負うようになっていった。「母親は全てを犠牲にして子供を育て、守るもの」という社会的規範が広く浸透した。

娘を出産した後、私には児童虐待事件が身近に感じられるようになった。
母親としての孤独、閉塞感、うまく育てられない絶望感を感じ、自分には「母性」が欠落しているのではないか、という不安を持つようになった。

広く日本社会に存在する「母性」という概念は何なのか?という問いが生まれた。

このプロジェクトは「母性」への疑問を基に、日本で起きた母親が犯した様々な児童虐待事件を調査し、その痕跡および自分自身の「母性」が欠落している日常を撮影した私的なドキュメンタリーだ。

 

現在日本において4日に1人の子供が虐待によって亡くなっている。

そのうち74.5%は実母が加害者である。

日本には子供を産めば自然に母性が芽生えるもの、

母親は全てを犠牲にして子供を守るものという母性神話が根強くあり、
子供を守ることができない母親がいるということを「ありえない」と思い込んでいる。

 

虐待事件が起こる度に騒ぎたてられるのは異常だとみなした母親への「母性の欠如」「母親失格」という非難ばかりだ。
特別な母親が犯した残酷な事件として大きく取り上げそして忘れていく。普通に暮らす私達には関係のないこととみなしてしまう。

日本において「児童虐待の防止に関する法律」が成立したのは2000年のことだ。
それまで、家庭内の虐待を事件として扱ってさえもいなかった。

「ありえない」と思いたい母親が子供を虐待するということは「ないこと」にしてしまう否認が、法律的にも社会的にも続けられてきた。

 

事件を調査していくと共通点が見えてくる。
虐待し子供を殺めてしまった母親も一生懸命子育てをしていた時期があり、何かのきっかけで虐待や育児放棄に陥っている。
また、母親自身が助けを呼んでいた時期があるが、サインは見過ごされてきた。

2児を部屋へ50日間放置し、餓死させてしまった母親は、自身も子供の頃に死に直面するような育児放棄を受けていた。
母親となった彼女が発したSOSは受け入れられず、「私達のことはなかったことにしたいのだなと思った。」と裁判で証言している。

これらの事件には、単なる「母性の欠如」では語れない複雑な問題が絡まっている。


虐待の行われた現場は特別ではないありふれたいつもの日常が流れている。

どこにでもある住宅街や団地は、誰にでもどんな母親でも起こしうる事件であることをあらわしているかのようだ。

また、多くの人々は、母親が子供が発したであろうSOSに気付く機会があったはずだ。

虐待事件のあったありふれた景色は私達がそのSOSをみようとしてこなかったという事実を私達につきつける。

 

私は事件を調査し浮かび上がるイメージをも写真として再構築する。

「ありえない」として「ないこと」にされてきた母親たちの叫びを私は視覚化する。

それは社会が現実に起こっている母と子、家族の問題を認め、直視することを促したいからだ。

「母性」という言葉があるのならば、それは母親のみに課するのではなく、社会全体が「母性」を持って各家族を子供を母親たちをそして個人を受け入れ支えていくように変わっていく事を私は望みたい。

 

このプロジェクトは児童虐待事件の起きた現場の環境、母親の背景、子供の発したSOSなど見過ごされてきた爪あとを顕在化し、更に、普通の母親である私自身の中にある「母性の闇」を浮かび上がらせる。「母性とはなにか?」を鑑賞者に問う。




■ 撮影、インタビューにご協力頂ける女性を探しています。
・自分の子供をかわいいと思えないという方

・子育てを通して虐待をしてしまったという経験のある方、現在、虐待なのかもと不安に思っている方
・虐待まではいかないが、その手前で踏みとどまったという経験のある方

・とにかく、今、子供と一緒にいて苦しんでいるという方
・虐待を受けて育ったという経験のある方

 
撮影は、プライバシーを考慮するためとともに、作品の主旨として誰なのかと特定できないようにするつもりです。
後ろ向きや顔を隠す、手だけ、傷跡だけ、または日記など大切な物など。

もちろん、ご了承頂いてお顔がでても大丈夫という方はぜひ普通に撮影させて頂きたいです。
できれば、お子様とのことで悩んだりした時やお家の中でもよくご自身がいる場所とか、お子様との思い出の場所とか。
1人になりたくて行った場所など、思いいれのある場所での
撮影を希望していますが、
その辺りはご相談の上一緒に決めていきたいと思っています。
虐待に使われた物の撮影も行っています。実際の物がもしあれば、そちらをお借りして撮影。
もし実際のものがない場合には、詳細をお伺いし、それに近いものを用意しての撮影です。
あまり、詳しくはお話ができない、自身が写りたくはないという方でもし、何か思いのある物がありましたら、
それだけを撮影させて頂くのも助かります。

 撮影した写真は、使用する前に必ずご連絡をし使用してよいかのお伺いを致します。

*虐待という言葉には、身体的なもの、心理的なもの、育児放棄など、性虐待、またしつけの一環として手をあげてしまったことやひどい言葉を言ってしまったということも含んでいます。
ほんとうに些細なことでも、もしお話を聞かせて頂け、撮影させて頂ける方
はぜひこちらからご連絡をお願い致します。

非常に難しく繊細な問題だということは重々理解しています。

でも、だからこそやらなければいけない、発信していかなくてはいけないプロジェクトだと信じています。
私個人の感情や仮説で留まらず、多くの母親の方、虐待を経験された方の生の声とイメージによってより核心に近づいていけると思っています。何卒、ご協力をお願いいたします。

*当初は、虐待をしてしまう母親の方だけを探しておりましたが、プロジェクトをすすめていくうちに
 母親への社会的サポートは絶対に必要なのですが、一番に重視するのは、やはり子供の安全だと思うようになりました。
 この両方の視点を作品に込められるよう、現在、虐待を経験された方のお話も聞かせて頂ければと思っています。
 お話できる範囲でも構いません。もし可能な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。

 

 長谷川 美祈